上の動画「実家から離れない少年」の前半のストーリーについてはご存知かもしれません。このストーリーは1987年に始まり、今日まで続いています。4部構成。

 
 
 

第1部: 子ども部屋

1987年から2012年、少年はコペンハーゲンのフレデリクスベア地区のブレーデ通りで母親と一緒に暮らしていました。25年間同じ子ども部屋で過ごしていましたが、2012年についに実家を出ることになります。フレデリクスベア地区からヴェスタブロ地区へ。

 
 

子ども部屋(1993年)

 
 
 
 

少年

母親

 
 
 

子ども部屋(2012年)

 
 
 

引っ越し

 
 
 

少年

母親

 
 
 
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第2部: 緑色の部屋

少年はコペンハーゲンのヴェスタブロ地区でアパートのワンルーム「緑色の部屋」を借りました。部屋には24時間監視カメラが回っており、映像は自動的に、母親がいる実家の子ども部屋の壁に映し出されます。緑のライトで照らされたものはカメラに映らないので、実家の子ども部屋の壁に映し出されるのは少年の姿だけです。こうして、緑色の部屋で暮らす少年は、同時に、実家の子ども部屋の壁にも存在することになりました。

 
 
 

緑色の部屋

 
 

ヴェスタブロ地区・フレデリクスベア地区

 
 
 

訪問客

 
 
 

友達

 
 
 

引っ越し後の子ども部屋

 
 
 

実家から離れない少年

 
 
 
 
 

写真: ソーレン・ビストロップ(Ritzau Scanpix)

 
 
 
 

第3部: フレデリクスベア地区のマーメイド

2013年、子ども部屋を一般公開。一般の訪問者は実家の子ども部屋を訪問し、壁に映る少年の姿を鑑賞できるようになりました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第4部: ホームレス

ヴェスタブロ地区のアパート「緑色の部屋」に越してから数年間、ほかにもコペンハーゲンにある別の「緑色の部屋」に引っ越した人がいました。この部屋もまた実家の子ども部屋の壁に通じています。

この暮らしは、コートという男性が登場するまで続きました。彼はヴェアルーセ出身なのですが、ぼくの母を自分の家に呼び寄せることにしたのです。2015年12月1日、母はコートの家に引っ越し、30年以上暮らしていた実家を売却します。そして、実家の新しいオーナーは「実家から離れない少年」がそこに住み続けるのをよしとはしませんでした。そのため、インターネット上でつながっていた「緑色の部屋」と実家の子ども部屋の関係は途絶えてしまいました。こうして「実家から離れない少年」はホームレスになりました。

 
 

引越し

ウスタブロ地区

 
 

イベント

 
 
 

母親・少年(2014年)

 
 
 

母親・コート(2015年)

 
 
 

ヴェアルーセ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

協力: メレーテ・ユリーン / Merete Juhlin、コート・ピーターセン/ Kurt Petersen、ヨハン・ビッシェル・リネゴー / Johan Bichel Linnegaard、ボー・トーニング / Bo Thorning、スーネ・ピーターセン / Sune Petersen、ニルス・ホルスト・イェンセン / Nils Holst-Jensen、ルイーセ・マクロフィン / Louise McLaughlin、ナナ・セシリエ・バン / Nanna Cecilie Bang、マッズ・スキュット・ステーギス / Mads Skjøtt Stagis、メッテ・イェンセン・ビュストロップ / Mette Jensen Bystrup、マークス・ビッシェル・リネゴー / Marcus Bichel Linnegaard、マヤ・カル / Maja Kall、アン・ソフィエ・フランギュ / Ann Sofie Frangø、アルベアテ・トルダム / Alberte Toldam、マリア・ミーンズ / Maia Means、ミカエル・ブラック/ Michael Blach、ヨセフィーネ・ブラック / Josephine Blach、キアスティーネ・イングクイスト / Kirstine Engqvist、カトリエン・フェアヴィルト / Katrien Verwilt、メトロポリスフェスティバル / Metropolisfestivalen。